マシス洸一郎「考えて出来ることと出来ないこと」

2012/02/15 00:26

 

わらべは見つけた、小バラの咲くを、野に咲く小バラ。

若く目ざめる美しさ、近く見ようとかけよって、心うれしくながめたり。

小バラよ、小バラよ、あかい小バラよ、野に咲く小バラ。

(『野の小バラ』高橋健二訳 「ゲーテ詩集」新潮文庫)

上の詩を読んで、アレッと思う人もいるのでは?

このマイク真木の『バラが咲いた』と見まごうような詩は、ゲーテ『野バラ』の一節です。
そういわれても、どこか感じがでない。

なんか、ちがうんじゃないの?と。

そうです、訳者がちがうのです。

シューベルトの曲で有名な、あの『野バラ』は近藤朔風の訳です。

わらべは見たり野なかのばらきよらにさける

そのいうめでつあかずながむくれないにおう野なかのばら

まさに名訳です。

私は大学時代、ゲーテのこの詩を原文から訳したことがあります。

もちろん、ドイツ語の練習のために。

そのとき、どこをどう考えても「きよらにさける/そのいうめでつ/あかずながむ」と格調高く訳せなかったことを憶えています。

私は近藤朔風訳とのあまりの落差に、考えこんでしまいました。

そして、あきらめました。

自分の文脈にない言葉は、絶対に使えないからです。

考えても書けない文章はあるのです。

誰かにあこがれ、その人のように書きたいと思うのはいいでしょう。

しかし、その人を真似て書くことは、練習ではいいとしても、本番では危険です。

2番煎じになり、かつ、気持ちのこもらないウソの文章になってしまいます。

考えても書けない文章はすっぱりあきらめ、考えれば書ける文章に焦点を絞り、考えぬき、磨きをかければいいのです。

冒頭の引用文を訳した高橋健二氏はドイツ文学者。

氏は考えればできる訳のひとつの最終形を示しているのです。

 

マシス洸一郎

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