わらべは見つけた、小バラの咲くを、野に咲く小バラ。
若く目ざめる美しさ、近く見ようとかけよって、心うれしくながめたり。
小バラよ、小バラよ、あかい小バラよ、野に咲く小バラ。
(『野の小バラ』高橋健二訳 「ゲーテ詩集」新潮文庫)
上の詩を読んで、アレッと思う人もいるのでは?
このマイク真木の『バラが咲いた』と見まごうような詩は、ゲーテ『野バラ』の一節です。
そういわれても、どこか感じがでない。
なんか、ちがうんじゃないの?と。
そうです、訳者がちがうのです。
シューベルトの曲で有名な、あの『野バラ』は近藤朔風の訳です。
わらべは見たり野なかのばらきよらにさける
そのいうめでつあかずながむくれないにおう野なかのばら
まさに名訳です。
私は大学時代、ゲーテのこの詩を原文から訳したことがあります。
もちろん、ドイツ語の練習のために。
そのとき、どこをどう考えても「きよらにさける/そのいうめでつ/あかずながむ」と格調高く訳せなかったことを憶えています。
私は近藤朔風訳とのあまりの落差に、考えこんでしまいました。
そして、あきらめました。
自分の文脈にない言葉は、絶対に使えないからです。
考えても書けない文章はあるのです。
誰かにあこがれ、その人のように書きたいと思うのはいいでしょう。
しかし、その人を真似て書くことは、練習ではいいとしても、本番では危険です。
2番煎じになり、かつ、気持ちのこもらないウソの文章になってしまいます。
考えても書けない文章はすっぱりあきらめ、考えれば書ける文章に焦点を絞り、考えぬき、磨きをかければいいのです。
冒頭の引用文を訳した高橋健二氏はドイツ文学者。
氏は考えればできる訳のひとつの最終形を示しているのです。
マシス洸一郎

